日本取引所自主規制法人「内部統制強化・不祥事予防に向けたハンドブック」公表──IPO準備会社が押さえるべきポイント
2026年1月、日本取引所自主規制法人は「内部統制強化・不祥事予防に向けたハンドブック-体系化した再発防止策から学ぶ着眼点-」を公表しました。
本ハンドブックは、上場会社で発生した不祥事の再発防止策を原因別に体系化したもので、上場会社の内部統制強化を支援することを目的としています。しかし、その内容はIPO準備会社にとっても非常に参考になります。
なぜなら、本ハンドブックには「上場後に陥りやすい落とし穴」が網羅的に整理されているからです。上場審査で内部統制を整備したはずの会社が、なぜ上場後に不祥事を起こしてしまうのか。その原因と対策を事前に学ぶことで、より実効性の高い内部統制システムを構築できます。
本記事では、ハンドブックの概要とIPO準備会社が特に注目すべきポイントを解説します。
ハンドブックの概要
基本情報
ハンドブック基本情報
- 発行元 日本取引所自主規制法人
- 発行日 2026年1月
- ページ数 約120ページ
- 対象期間 2022年4月〜2025年3月に東証から実効性確保措置を受けた会社の再発防止策
- 構成 再発防止策14カテゴリー + 専門家コラム10本
目的
本ハンドブックは、不祥事が発生した会社が策定した再発防止策を原因・目的別に分類し、そのポイントを紹介することで、上場会社の内部統制強化に役立てることを目的としています。
再発防止策は弥縫的な対応に留まるものではなく、内部統制の抜本的な強化を目指して策定されるため、不祥事が発生していない会社にとっても参考になる内容となっています。
構成
内容は以下の14カテゴリーに分類されています。 合計120ページもありますから、各人、気になるところを確認するのが良いと思います。 後ほど、どこを読むべきかも解説しますが、IPO準備会社であれば、会計知識関連、内部通報関連等でしょうか。
また、神田秀樹氏(東京大学名誉教授)、山口利昭弁護士、澤口実弁護士など各分野の第一人者による専門コラムも10本収録されています。こちらも、同じように気になるところを読むのが良いと思います。取引所、特に上場審査部自らが解説している関連当事者関連のお話は呼んでもいいかもしれませんね。
専門家コラム一覧
| タイトル | 寄稿者 |
|---|---|
| コーポレートガバナンス・コードと不祥事予防 | 神田秀樹氏(東京大学名誉教授) |
| 経営者による不祥事の防止に向けて | 山中彰子氏(日本公認会計士協会常務理事) |
| 不正を防止するための業務プロセスの整備 | 一般社団法人日本公認不正検査士協会 |
| 監査役会等による監査の実効性可視化 | 公益社団法人日本監査役協会 |
| 公益通報者保護法改正の論点と内部通報制度 | 山口利昭弁護士 |
| 適切な適時開示の実施に向けて | 東京証券取引所上場部 |
| 内部監査部門の独立性・客観性 | 一般社団法人日本内部監査協会 |
| グループガバナンスと本ハンドブック | 澤口実弁護士(森・濱田松本法律事務所) |
| 関連当事者取引の合理性・妥当性 | 日本取引所自主規制法人上場審査部 |
| 上場会社の不祥事予防に関する取組み | 日本取引所自主規制法人上場管理部・売買審査部 |
なぜ今、このハンドブックが公表されたのか
不祥事の増加傾向
ハンドブックによると、上場会社等における第三者委員会等の設置件数は増加傾向にあります。
上場会社等の第三者委員会等設置件数推移
| 年度 | P | S | G | 他 | 計 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2020 | 42 | 12 | 5 | 2 | 61 |
| 2021 | 26 | 31 | 7 | 3 | 67 |
| 2022 | 27 | 27 | 9 | 4 | 67 |
| 2023 | 40 | 21 | 14 | 3 | 78 |
| 2024 | 47 | 30 | 6 | 1 | 84 |
出所:日本取引所自主規制法人「内部統制強化ハンドブック」(第三者委員会ドットコムのデータに基づく)
この増加の背景として、コロナ禍による会計監査への制約が解消されたこと、公益通報者保護法の改正により内部通報を端緒とした不祥事の発覚が増加したことなどが挙げられています。
改めて「守りのガバナンス」の重要性
日本取引所グループは、2022年の市場再編や2023年の「資本コストや株価を意識した経営」の要請など、上場会社の成長を促す「攻めのガバナンス」を推進してきました。
一方で、コンプライアンスやリスク管理のための内部統制システムの強化といった「守りのガバナンス」も不可欠です。昨今の不祥事の増加を受け、本ハンドブックの発行に至ったと説明されています。
IPO準備会社が注目すべき5つのセクション
ハンドブックでは、特に以下の会社において内部統制強化の必要性が高いと明記されています。
- 中堅規模の上場会社:管理部門や内部監査部門に十分な経営資源を配分していないおそれがある
- 新興上場会社:上場後に内部統制システムが徐々に脆弱化しているおそれがある
これはまさにIPO準備会社が上場後に直面しうるリスクです。以下の5つのセクションは特に参考になります。
上場準備を担った責任者の離職、業績悪化による人員削減などで管理体制が弱体化するリスク。人員体制強化、CFO採用などの対策が紹介されています。
業績プレッシャーによる意識希薄化のリスク。階層別研修、経営トップからのメッセージ発信、人事評価への反映などの対策が紹介されています。
上場後に形骸化しやすい領域。独立性・客観性の確保、リスクベースの監査計画策定、人員増員と専門性強化などの対策が紹介されています。
社外取締役への情報提供不足、相互監視機能の不備など。情報提供体制の整備、実効性評価、指名・報酬委員会活用などの対策が紹介されています。
制度があっても機能していないケースが多発。外部窓口設置、通報者保護の徹底、利用状況のモニタリングなどの対策が紹介されています。
IPO準備会社への示唆
「不正のトライアングル」から見る不祥事発生メカニズム
不祥事がなぜ発生するのかを理解するうえで、「不正のトライアングル」というフレームワークが有用です。これは米国の犯罪学者ドナルド・クレッシーが提唱した理論で、不正行為は以下の3つの要素が揃ったときに発生するとされています。
不正のトライアングル(Fraud Triangle)
米国の犯罪学者ドナルド・クレッシーが提唱した理論。不正行為は以下の3つの要素が揃ったときに発生するとされています。
- 業績目標の必達圧力
- 株価維持へのプレッシャー
- 予算未達への恐怖
- 個人的な経済的困窮
- 内部統制の不備
- 特定人物への権限集中
- 監視体制の欠如
- 管理部門の脆弱性
- 「会社のためだから」
- 「一時的な措置だから」
- 「みんなやっている」
- 「後で取り返せる」
出所:Donald R. Cressey の研究に基づく。内部統制強化ハンドブックの14カテゴリーは主に「機会」の排除を目的としています。
本ハンドブックに掲載されている不祥事事例を、この3つの要素に当てはめると、その発生メカニズムがより明確になります。
動機・プレッシャーとして、業績目標の必達圧力、株価維持へのプレッシャー、予算未達への恐怖などが該当します。ハンドブックでは「業績偏重の考え方に基づく過大な業績目標」「非現実的な目標必達の強要」が多くの事案で指摘されています。IPO準備会社は上場後、投資家や市場からの業績期待に応えるプレッシャーが格段に高まります。
機会として、内部統制の不備、権限の集中、監視体制の欠如などが該当します。ハンドブックの14カテゴリーのうち、「管理部門の脆弱性」「特定の人物への権限集中」「内部監査の実効性欠如」「監査役会等による監査機能の不備」などは、まさに「機会」を生み出す要因です。
正当化として、「会社のためだから」「一時的な措置だから」「みんなやっている」といった心理的な言い訳が該当します。コンプライアンス意識の欠如は、不正を正当化しやすい組織風土を生み出します。
IPO準備会社が内部統制を構築する際は、この3つの要素それぞれに対処する視点が重要です。具体的には以下のような対応が考えられます。
- 動機・プレッシャーへの対処:現実的な業績目標の設定、過度なインセンティブ制度の見直し
- 機会への対処:職務分掌の明確化、権限の分散、モニタリング体制の整備
- 正当化への対処:経営トップからのメッセージ発信、コンプライアンス研修、人事評価への反映
上場審査と本ハンドブックの関係
上場審査では、内部統制システムの整備状況が審査項目の一つとなっています。本ハンドブックに記載されている14の原因カテゴリーは、まさに上場審査で確認される事項と重なります。
つまり、本ハンドブックは「上場審査で求められる内部統制が、なぜ上場後に機能しなくなるのか」を具体的な事例とともに示しているといえます。
「整備」と「運用」の違いと重要性
IPO準備の初期段階では、内部統制の「整備」に注力します。規程を作成し、組織体制を構築し、業務プロセスを文書化します。
しかし、本ハンドブックに掲載された不祥事事例の多くは、制度としては整備されていたものの「運用」が不十分であったケースです。 この点、上場審査においても、「整備」した内部統制の「運用」状況が確認されます。
- コンプライアンス研修は実施していたが、形式的なものに留まっていた
- 内部通報窓口は設置していたが、周知が不十分で利用されていなかった
- 取締役会は定期的に開催していたが、実質的な議論が行われていなかった
IPO準備会社は、上場後も内部統制が実効的に「運用」され続ける仕組みを設計段階から意識することが重要ですね。
上場後のリスクを見据えた体制構築
本ハンドブックが指摘する「新興上場会社」のリスクは、以下のようにまとめられます。
- 人材流出リスク:上場準備を担った管理部門責任者が離職する
- 業績プレッシャー:上場後の株価維持・業績達成圧力がコンプライアンス意識を希薄化させる
- 体制の形骸化:上場審査対応で整備した体制が、運用段階で形骸化する
IPO準備段階から、これらのリスクを見据えた体制構築を行うことが望ましいといえます。具体的には以下のような対応が考えられます。
- 管理部門の属人化を避け、複数名体制を構築する
- 人事評価制度にコンプライアンス項目を組み込む
- 内部統制の運用状況を定期的にモニタリングする仕組みを設ける
実務での活用方法
本ハンドブックは、IPO準備会社において以下のような活用が考えられます。
内部統制構築時のチェックリストとして
14のカテゴリーは、内部統制を構築する際のチェックリストとして活用できます。自社の内部統制に不足している要素がないか、カテゴリーごとに確認することで、網羅的な体制整備が可能です。
役員・管理部門向け研修の題材として
ハンドブックに掲載されている具体的な不祥事事例と再発防止策は、役員や管理部門向けの研修題材として有用です。他社の失敗事例から学ぶことで、自社で同様の問題が発生するリスクを認識できます。
監査役・内部監査部門の監査着眼点として
監査役や内部監査部門が監査を行う際の着眼点としても活用できます。ハンドブックに記載されている「不祥事の原因」は、そのまま監査時の確認項目となります。
まとめ
本ハンドブックは、上場会社の不祥事を「他山の石」として学ぶことができる貴重な資料です。
IPO準備会社にとっては、上場審査で求められる内部統制の「その先」を見据えた体制構築のヒントが詰まっています。上場はゴールではなくスタートです。上場後も持続的に機能する内部統制システムを構築するために、本ハンドブックを活用されることをお勧めします。
参考リンク
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