『保有する理由がない』——AIがソフトウェア株を直撃する時代と日本市場への示唆

はじめに

2026年1月、Bloombergは「新AIツール登場でソフトウエア株急落-「保有する理由ない」と投資家」と題した記事を配信しました。AIの急速な進化により、従来型ソフトウェア企業の株価が大幅に下落している状況を報じたものです。

この記事では、米国で起きている現象を整理したうえで、私見にはなりますが、日本市場への当てはめやIPO準備企業が知っておくべきことの整理を試みます。IPO準備企業の経営者・CFOの方々にとって、市場選択や資本政策を考えるうえでの参考材料になれば幸いです。


米国で何が起きているのか

Bloomberg記事によれば、ベンチャーキャピタリストのクリス・パパダポロス氏は「ソフトウェア株のすべてを売るべきだ」「保有する理由がなくなった」と発言しています。AIツールが従来のソフトウェアビジネスを「共食い」する形で駆逐するリスクを指摘したものです。

具体的には、アンシス(Ansys)、アドビ(Adobe)、セールスフォース、サービスナウなどのソフトウェア企業が年初来で大幅下落。IGV(iシェアーズ・ソフトウェアETF)がQQQ(ナスダック100 ETF)を大きくアンダーパフォームする状況が続いています。


日本市場への当てはめ

IGVに相当する指数

米国のIGVに完全に対応する指数は、日本には存在しません。ただし、近似的に使えるものとしては「東証グロース市場250指数」が挙げられます。私も証券会社時代は、よくこの指数を引き合いにIPO市場の環境について、お客様とお話をさせていただいておりました。

東証グロース市場250指数(旧マザーズ指数)は、グロース市場に上場する時価総額上位250銘柄で構成される時価総額加重型の株価指数です。SaaS企業やIT企業が多く含まれており、日本の新興テック株のベンチマークとして機能しています。

米国の「IGV vs QQQ」という構図を日本市場に当てはめると、「グロース250 vs TOPIX」という比較が最も近いと考えられます。

すでに起きている「グロース劣後」

結論から言えば、Bloomberg記事が指摘する「IGVがQQQをアンダーパフォーム」という構図は、AIの影響だけではないかもしれませんが、日本市場でも既に顕在化しています。

TOPIX vs グロース250 年間騰落率
グロース250は4年連続下落後、2025年にプラス転換もTOPIXには及ばず
TOPIX グロース250 差分
2021年 +10.1% -17.4% -27.5pt
2022年 -6.2% -26.1% -19.9pt
2023年 +25.9% -2.7% -28.6pt
2024年 +18.1% -8.8% -26.9pt
2025年 +22.1% +5.4% -16.7pt
出典:JPX総研ファクトシート(2025年12月30日時点)

グロース250は2021年から2024年まで4年連続で下落し、過去最長の連続安を記録しました。2025年に+5.4%とプラス転換したものの、同期間のTOPIX(+22.1%)を大きく下回っています。

長期で見ると乖離はさらに顕著です。

長期リターン比較
5年累計で155pt超の差が開く
期間 TOPIX グロース250 差分
3年 +93.8% -6.3% -100.1pt
5年 +113.2% -42.6% -155.8pt
10年 +178.6% -21.0% -199.6pt
出典:JPX総研ファクトシート(2025年12月30日時点)

グロース市場の機能不全

このグロース劣後の背景には、グロース市場そのものが抱える構造的な課題があると考えられます。

特に指摘されるのは、上場後のパフォーマンス未達です。IPO時に投資家へ説明した成長計画を下回ってしまっている企業が少なくないと見られます。こうした事例が積み重なることで、グロース市場全体への信頼が損なわれている可能性があります。


日本SaaS企業の現在地

バリュエーションの圧縮

国内SaaS企業のEV/Salesは、2021年のピーク時に6.0倍程度だったものが、足元では4.0倍前後まで低下しています。トップラインの成長だけでなく、収益性・利益成長も重視される局面に入ったと言えそうです。

主要プレイヤーの評価

時価総額上位のSaaS企業に限っても、その評価には濃淡が見られます。

主要SaaS企業の特徴
収益性と成長性のバランスが評価を分ける
企業 特徴
ラクス 時価総額トップ、営業利益率20%超を維持。早期から黒字経営を実現しており、収益性の高さが市場から評価されている
freee 2025年6月期に創業以来初の黒字化を達成
マネーフォワード ARR成長率28%だが依然赤字
Sansan Bill Oneが前年比+155%の高成長

赤字でも高成長なら許容された時代から、黒字化・収益性が求められる時代へ移行しつつあるように見えます。ラクスのように早期から収益性を重視した経営を行ってきた企業が、結果として高い評価を得ているのは示唆的です。

なぜ赤字のマネーフォワードが高時価総額を維持できるのか

一方で、依然として赤字であるマネーフォワードが比較的高い時価総額を維持している点は注目に値します。

この点を考えるうえで参考になるのが、SaaSプロダクトを「Must have」(ないと不便)と「Nice to have」(あったら便利)に分類する考え方です。UB Ventures(現ファーストライト・キャピタル)の岩澤脩氏は、この両者の間には大きな差があると指摘しています。

マネーフォワードのプロダクトは、この分類で言えば「Must have」寄りのポジションにあると考えられます。会計・経理・人事労務といった領域は、企業にとって「なくては業務が回らない」基幹業務です。一度導入されると、データの蓄積やワークフローへの組み込みにより、他社製品への乗り換えコストが高くなります。

つまり、チャーンしにくい(解約されにくい)構造を持っていることが、投資家からの評価につながっているのではないでしょうか。


「SaaS is Dead」論は日本にも当てはまるのか

2024年12月、MicrosoftのCEOサティア・ナデラ氏がBG2ポッドキャストに出演し、SaaSの将来について言及しました。この発言は「SaaS is Dead」として大きな話題となりました。

ただし、複数のメディアが指摘するように、ナデラ氏は「Dead」という言葉そのものは使っておらず、「SaaSは姿を変え、AI主導の新しいソフトウェア時代が始まる」という趣旨の発言だったとされています。しかし、この発言は「SaaS終焉論」として解釈され、業界に大きな波紋を呼びました。

この議論の核心は以下のような点にあります。

  1. AIエージェントの登場により、ソフトウェアの大量生産が可能になる
  2. 供給過剰による価格競争が不可避となる
  3. ユーザーにとって「Must have」ではないSaaSは、一気に淘汰される

日本においても、この議論は無関係ではないでしょう。特に「あれば便利だが、なくても業務は回る」タイプのSaaSは、AI時代における淘汰リスクを真剣に検討すべきかもしれません。

ただし、ALL STAR SAAS FUNDの前田ヒロ氏や湊雅之氏は、「SaaS is Dead」は日本においてはほとんど当てはまらないとの見解を示しています。日本のSaaS普及率はまだ低く、成長余地があるためです。


米国と日本の構造的な違い

日本市場には米国と異なる構造的要因があります。

米国と日本の構造比較
日本特有の追い風と課題
観点 米国 日本
AIツールの浸透速度 速い やや遅い
人手不足という追い風 限定的 強い(人口減少)
SaaS市場の成熟度 成熟 成長途上(年率10%成長予測)
代替リスクが高い領域 開発ツール、検索、デザイン 同左だが、労務・経理など規制対応型は相対的に堅い

特に日本では、労働力不足を背景としたDX需要が根強く存在します。規制対応や業務プロセスに深く組み込まれたSaaSは、「Must have」として生き残る可能性が相対的に高いのではないでしょうか。


増加するダウンラウンドIPO——資本政策の逆風

グロース市場の低迷は、IPO時の資本政策にも影響を及ぼしています。上場前の資金調達時の評価額を下回る「ダウンラウンドIPO」が増加傾向にあります。

ダウンラウンドIPOの実態
上場前評価額を下回る公開価格でのIPOが増加傾向
約33%
ダウンラウンドIPOの割合
KPMGの分析によれば、2023年以降にVC等の外部投資家を有する92社のうち30社でダウンラウンドIPOが確認されています。なかには8割を超える下落となった事例もあり、2割超の下落となった会社は20社程度に上るとされています。
出典:KPMG「スタートアップの成長戦略の変容(後編)」(2025年1月)

ダウンラウンドIPO増加の背景

ダウンラウンドIPOが増加した背景としては、以下の点が考えられます。

  1. 2020〜2021年のコロナバブル期に形成された高バリュエーションの反動
  2. グロース市場全体の低迷による公開価格の抑制
  3. 投資家の収益性重視へのシフト

一般的に、ダウンラウンドでのIPOは想定している資本政策との間にギャップが生じ、経営者や既存投資家にとってストレスが大きいものです。上場延期を判断する企業も少なくないと思われます。

IPO準備企業にとっては、未上場時のバリュエーションを慎重に設定すること、そして上場時期の見極めがこれまで以上に重要になっていると言えそうです。


IPO準備企業への示唆

これらの状況を踏まえると、IPO準備企業の経営者・CFOにとって、以下の視点が重要になるのではないでしょうか。

1. Must have vs Nice to have の見極め

自社のプロダクトが顧客にとって「ないと不便」(Must have)なのか、「あったら便利」(Nice to have)なのかを冷静に見極めることが重要です。

「Nice to have」のポジションにある場合、AIによる代替リスクや価格競争への耐性について、改めて検討が必要かもしれません。

2. 収益性重視への転換

赤字成長モデルへの市場評価は厳しくなっています。IPO審査においても、成長性だけでなく収益性・キャッシュフロー創出力が重視される傾向にあります。また、時価総額100億円基準も重く評価の基準として、のしかかってきます。

「いつ黒字化するのか」「どの程度の利益率を目指すのか」について、これまで以上に明確なストーリーを持つことが求められるでしょう。

3. 資本政策の慎重な設計

ダウンラウンドIPOの増加は、未上場時のバリュエーション設定の重要性を改めて示しています。

高すぎるバリュエーションでの調達は、その後の資本政策の柔軟性を損なうリスクがあります。「調達できる額」ではなく「適正な額」を意識した資本政策が求められるのではないでしょうか。これはAIによる影響の直接の文脈ではないかもしれませんが、間接的には大きく影響されている、されていくはずですね。

4. 市場選択の再考

グロース市場の構造的な課題を踏まえると、スタンダード市場への上場、あるいはTOKYO PRO Marketの活用など、市場選択の幅を広げて検討することも一案かもしれません。これは他の記事とも繰り返しになってしまっていますが、取り得る選択肢だと思います。ただし、SaaS企業などの業種業態は形式基準的にスタンダード上場というのはあまり取り得ない選択肢かもしれませんね。


おわりに

米国で起きているAIの衝撃は、日本市場でも形を変えながら顕在化しています。グロース250のTOPIXに対する長期アンダーパフォームは、新興市場・グロース株に対する投資家の厳しい目線を反映したものと言えるでしょう。今後、この傾向がAIで加速をしていくか、AIを利用してグロース市場が再興していくかは見ものですね。

日本市場特有の人手不足・DX需要という追い風もあり、一律に「SaaS is Dead」とは言えません。重要なのは「Must have」と「Nice to have」の峻別であり、この視点はIPO準備・資本政策においても今後ますます重要になると考えられます。

本稿が、IPO準備に取り組む経営者・CFOの皆様にとって、何らかの参考になれば幸いです。


参考資料

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執筆者

石塚 康一

Koichi Ishizuka

株式会社プライムコンサルティング 代表取締役/公認会計士

北海道大学農学部を卒業後、監査法人トーマツ 旧トータルサービス事業部入所。IPO監査に一貫して従事し、その後、野村證券投資銀行部門へ転職。公開引受部・法人営業部門にて、IPOアドバイザリーや、IPO準備企業の発掘、オファリングの支援等を行う。2024年、株式会社プライムコンサルティングを創業し、独立した立場からIPOの伴走を行う。

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