「記述情報の開示の好事例集2025」最終版が公表

MD&A・事業等のリスク・ガバナンス開示に金融庁と投資家が求める水準と、IPO準備企業への示唆


この記事でわかること

  • 金融庁が2026年3月27日に公表した「記述情報の開示の好事例集2025」最終版の全体像と、2025年12月版(サステナビリティ情報)との二部構成の関係
  • 最終版で新たに加わったテーマ(事業等のリスク、MD&A、重要な契約等、コーポレート・ガバナンス、監査の状況、株式の保有状況)の位置づけ
  • 好事例集が示す「投資家・アナリスト・有識者が期待する開示のポイント」の共通軸と、SSBJ基準の段階適用(2027年3月期〜)という制度の流れ
  • 上場申請書類「Ⅰの部」の記述情報が上場後の有価証券報告書に引き継がれるという構造から見た、IPO準備企業が今から着手できる開示体制づくり

1. 何が公表されたのか ― 好事例集2025の全体像

記事にするのに、少し時間が空いてしまいましたが、2026年3月27日、金融庁は「記述情報の開示の好事例集2025」の最終版を公表しました。好事例集は、有価証券報告書(以下「有報」)のうち数値以外の説明部分――経営者による分析、事業のリスク、ガバナンス、サステナビリティなど、いわゆる記述情報(narrative information)――について、参考になる実際の開示例を集めたものです。金融庁は2018年度から毎年、投資家・アナリスト・有識者と企業が参加する「記述情報の開示の好事例に関する勉強会」を開いた上で、その議論を踏まえて好事例集を取りまとめています。

好事例集は法令やガイドラインではありません。金融庁は、すでに開示の充実に取り組んでいる企業にはさらなる充実を、これから取り組む企業には開示の底上げに役立ててもらうことを目的として掲げています。実務家にとっての価値は、規制当局と機関投資家が「どの水準の記述情報を有用と見ているか」を、実在の開示例と投資家サイドのコメントの形で可視化している点にあります。

参考: 金融庁「『記述情報の開示の好事例集2025』の最終版公表」(2026年3月27日) https://www.fsa.go.jp/news/r7/singi/20260327.html

1-1. 二部構成 ― サステナビリティ編(2025年12月)と記述情報編(2026年3月)

2025年度の好事例集は、二段階に分けて公表されました。第1回・第2回勉強会(全般的要求事項、気候変動、人的資本、従業員の状況など)の議論を踏まえた「サステナビリティ情報の開示」編が2025年12月25日に公表され、続いて第3回・第4回勉強会(MD&A、事業等のリスク、重要な契約等、コーポレート・ガバナンスの状況等)を踏まえた開示例を追加して、2026年3月27日に最終版として取りまとめられています。

最終版の分割ファイルの構成を整理すると、次のようになります。

区分 収録テーマ
共通 投資家・アナリスト・有識者が期待する主な開示のポイント(各テーマ共通/サステナビリティ共通)
サステナビリティ 全般・気候・個別テーマ/人的資本・従業員の状況
記述情報(最終版で拡充) 事業等のリスク/MD&A(経営者による財政状態・経営成績・キャッシュ・フローの分析)/重要な契約等/コーポレート・ガバナンスの概要/監査の状況/株式の保有状況
Appendix 定量分析(有報における特定の記述の開示状況)

別表01:好事例集2025(最終版)の主な収録区分(金融庁公表資料に基づき作成)

有報の記述情報のうち投資家の関心が高い領域が、ほぼ一通り好事例集の対象になったと整理できます。IPO準備の観点では、上場申請時に作成する「Ⅰの部」(有価証券届出書に相当する上場申請書類)や上場後の有報で記載する項目と、そのまま重なります。

1-2. 好事例集の「使い方」

好事例集の各開示例では、着目した箇所が青色の枠で囲われ、その上で具体的なポイントが記載されています。あわせて、勉強会で出た「投資家・アナリスト・有識者が期待する主な開示のポイント」と「好事例として採り上げた企業の主な取組」が掲載されており、開示例・当局の着眼点・投資家の期待をセットで読める構成になっています。

好事例集の冒頭には、開示例はあくまで参考であって、掲載企業の有報に誤りがないこと(サステナビリティ開示基準への準拠性を含む)を保証するものではない、という注記が置かれています。個々の開示例を金科玉条とするのではなく、記述情報を充実させる際の発想と型を学ぶ資料として使うのが適切と考えられます。


2. 背景 ― なぜ今、記述情報の「底上げ」が必要なのか

好事例集は毎年の恒例な公表物ですが、2025年度版は、サステナビリティ開示の制度化という大きな動きと重なっている点で節目にあたります。ここを押さえておくと、好事例集が示す方向性の意味が掴みやすくなります。

2-1. 記述情報充実の流れ

有報の記述情報は、財務諸表だけでは伝わらない経営者の視点や将来の見通しを投資家に届ける部分です。金融庁は2019年に「記述情報の開示に関する原則」を示して以降、MD&Aや事業等のリスクを中心に、自社固有の説明を求める方向で開示の充実を促してきました。好事例集は、その原則を実際の開示に落とし込むための参照集として位置づけられます。

2-2. SSBJ基準の制度化 ― 2027年3月期からの段階適用

2025年度版でサステナビリティ編が先行し、かつ厚く扱われた背景には、サステナビリティ開示の法定化があります。2025年3月5日にサステナビリティ基準委員会(SSBJ)が「サステナビリティ開示基準」(以下「SSBJ基準」)を公表し、これを金融商品取引法令に取り込む形で、2026年2月20日に企業内容等の開示に関する内閣府令等が改正されました。改正後の枠組みでは、東京証券取引所プライム市場の上場会社のうち平均時価総額が一定規模以上の企業に対し、有報でのSSBJ基準に準拠した開示が段階的に義務づけられます。

図表01
SSBJ基準の段階適用スケジュール
2027年
3月期
平均時価総額 3兆円以上
東京証券取引所プライム市場の上場会社が対象
改正開示府令で確定
2028年
3月期
平均時価総額 1兆円以上
改正開示府令で確定
2029年
3月期
平均時価総額 5,000億円以上
WG報告・今後の府令改正見込み
未定
平均時価総額 5,000億円未満
企業の開示状況・投資家ニーズを踏まえ今後検討
検討中
改正開示府令で確定
今後の検討・府令改正見込み
平均時価総額は原則として当該事業年度の前事業年度末から遡る過去5事業年度末の平均値で判定。適用初年度とその翌年度は、翌期の半期報告書の提出期限までに訂正報告書で開示する二段階開示の経過措置がある。
*図表01:SSBJ基準の段階適用スケジュール(改正開示府令および金融審議会WG報告に基づき作成)*

適用初年度とその翌年度については、有報本体ではなく、翌期の半期報告書の提出期限までに訂正報告書で開示する「二段階開示」の経過措置が認められています。あわせて、人的資本(従業員の状況等)の開示拡充や、株主総会前の有報開示への対応に関する改正が、2026年3月31日以後に終了する事業年度から適用されます。

この段階適用は大規模なプライム上場会社から始まるため、グロース市場を目指す新興企業がただちに義務の対象になるわけではありません。もっとも、投資家が期待する開示の水準や、将来的な適用対象の拡大を見据えると、IPO準備企業にとっても無縁のテーマではないと考えられます。この点は第4章で改めて取り上げます。

2-3. 将来情報とセーフハーバー・ルール

記述情報の充実は、将来予測や見積りの開示を伴います。予測が結果と食い違ったときの虚偽記載リスクを過度に恐れると、かえって開示が萎縮しかねません。この点について、経営方針・事業等のリスク・MD&Aにおける将来情報は、重要な事項について合理的と考えられる範囲で具体的な説明がなされていれば、結果が異なってもただちに虚偽記載の責任を負うものではない、という考え方(セーフハーバー・ルール)が企業内容等開示ガイドラインで整理されており、Scope3温室効果ガス排出量に関する取扱いも含めて改正で明確化されています。好事例集が将来情報の積極的な開示を促す前提には、こうした制度的な手当てがあります。


3. 実務上のポイント ― 好事例集が示す共通の視点

好事例集は個別テーマごとに開示例を並べていますが、最終版の「各テーマ共通」パートには、テーマを横断して投資家・アナリスト・有識者が繰り返し指摘した論点がまとまっています。ここは、記述情報全般に効く実務の勘所として読めます。

3-1. 有報と任意開示の役割分担

投資家サイドからは、有報と統合報告書などの任意開示との役割分担を整理し、重複の回避と深掘りを両立させることが有用だという指摘が示されています。有報では投資判断に必要な要点を集約し、詳細は統合報告書等に誘導する、といった整理です。ただし、書類間で内容が食い違えば情報の信頼性を損なうため、整合性・一貫性の確保が前提になるとされています。

あわせて、有報は前年度の統合報告書の焼き直しではなく、当年度の経営判断や指標を示す媒体であるべきだという意見や、投資家は最新情報を求めているため、速報値であっても算定方法(見積り・推計を含む)を説明した上で提出時点の情報を積極的に開示することが望まれる、という指摘も示されています。

3-2. 将来情報・見積りと開示プロセスの整備

将来情報や見積りの開示に伴う虚偽記載リスクを下げるには、開示プロセスを適切に整備し、第三者のチェックを経ることが重要だとされています。適切な手続を踏んだ上で、不確実性のある情報も積極的に開示する姿勢が望まれる、というのが投資家サイドの基本線です。

実務的な工夫として、開示基準の要求事項のうち定性情報や将来予測情報など期末前に検証可能な項目を先に特定しておくこと、定量情報についても見積り・推計を含む算定方法を早い段階から検討しておくことが挙げられています。開示のタイミングを待って作業を始めるのではなく、検証を前倒しできるところから前倒しする、という発想です。これは、開示体制と内部統制の設計そのものに関わる論点です。

3-3. 機械可読性 ― AIによる分析を前提とした開示

もう一つ、近年の好事例集で目立つのが機械可読性への言及です。AI等を使った分析手法の広がりに対応できるよう、図表だけでなくテキストでも記載し、機械可読性と分析可能性を高めることが有用だと指摘されています。投資家・アナリストによる企業間比較やスコアリングに活かされやすくなるためです。図表に情報を埋め込んで終わりにせず、要点を本文テキストでも記述しておく、という実務対応につながります。

このほか、多様な投資家が理解しやすい構成と粒度にすること、経営者と開示担当部門・関係部門の連携(たとえば人的資本開示では経営戦略と人材戦略の連動性を示すこと)、株主総会の3週間前などの早期開示による事業報告等との一体開示のメリットなどが、共通の期待として整理されています。

3-4. 定量分析が示す開示の現状

最終版のAppendixには、有報の記述にどの程度サステナビリティ関連の項目が盛り込まれているかの定量分析が収録されています。「事業の状況」欄で特定の単語を含む開示を行っている上場企業の割合は、主要な項目でおおむね上昇しています。

図表02
サステナビリティ関連項目を含む有報開示の割合
2024年3月期
2025年3月期
人的資本
'2478.4%
'2582.2%
気候変動
'2474.6%
'2576.7%
情報セキュリティ
'2451.2%
'2555.3%
知的財産
'2451.3%
'2553.0%
DX
'2454.3%
'2558.4%
人権
'2445.7%
'2549.6%
サイバー
セキュリティ
'2413.5%
'2516.4%
生物多様性
'2411.8%
'2514.0%
有価証券報告書「事業の状況」欄で各項目を表す語を含む開示を行っている上場企業の割合。金融庁「記述情報の開示の好事例集2025」Appendix(定量分析)に基づき作成。棒の長さは割合(0〜100%)に対応。
*図表02:有報「事業の状況」欄で各項目を含む開示を行っている上場企業の割合(金融庁「好事例集2025」Appendix 定量分析に基づき作成)*

数値からは、人的資本・気候変動が定着しつつある一方、サイバーセキュリティや生物多様性はまだ開示率が相対的に低いことが読み取れます。金融庁の分析では、情報セキュリティやサイバーセキュリティ、知的財産は「サステナビリティに関する考え方及び取組」欄よりも「事業等のリスク」欄での開示が多く、DXは「経営方針、経営環境及び対処すべき課題等」欄での開示が多い、という記載箇所の傾向も示されています。同じ論点でも、どの欄で語るかは企業によって分かれているということです。


4. IPO準備企業が今から準備すべきこと

好事例集は既上場会社の有報を素材にしていますが、IPO準備企業にとっても、上場後の開示水準を先取りして設計するための材料になります。ポイントは、記述情報が上場前後で連続しているという構造にあります。

4-1. 「Ⅰの部」の記述情報は、上場後の有報に引き継がれる

上場申請書類であるⅠの部の「事業等のリスク」「経営者による分析(MD&A)」「コーポレート・ガバナンスの状況」などは、上場後に提出する有報の同名項目とほぼ同じ枠組みで作成します。つまり、Ⅰの部で作り込んだ記述情報は、上場後の有報の出発点になります。逆に、上場審査を通すためだけに定型文で埋めたリスク記載は、上場後に投資家から物足りないと評価される記述としてそのまま残りかねません。

好事例集で繰り返し評価されているのは、業界一般論ではなく自社固有の事情に踏み込んだ記載です。事業等のリスクであればリスクの発生可能性や影響度、対応策との結びつきを、MD&Aであれば数値の背後にある経営者の認識を、自社の言葉で説明できているか。この観点は、Ⅰの部の記述情報を起こす段階から意識しておく価値があります。

4-2. サステナビリティ・人的資本 ― 段階適用の外でも投資家の期待には晒される

前述のとおり、SSBJ基準の義務適用は大規模プライム上場会社から始まり、グロース上場を目指す企業がすぐ対象になるわけではありません。ただし、人的資本や気候関連の開示は、義務の有無とは別に、機関投資家が中長期の企業価値を評価する際の共通言語になりつつあります。好事例集の定量分析が示すとおり、上場企業全体で人的資本・気候変動の開示は8割前後まで広がっており、上場を機に投資家との対話に入る新興企業も、この水準を意識せざるを得ないと考えられます。

任意適用の余地や将来の適用対象拡大も見据えると、上場準備の段階で、少なくとも自社のマテリアリティ(重要課題)と人材戦略・経営戦略の連動を社内でも言語化しておくことは、上場後の開示負担を平準化する意味でも合理的です。

4-3. 開示プロセスの整備は、上場準備の開示体制構築と地続き

好事例集が強調する「開示プロセスの整備」「第三者のチェック」「検証の前倒し」は、IPO準備で構築する開示体制・内部統制の論点とそのまま重なります。将来情報や見積りをどの部署が作り、どこで検証し、誰が最終責任を持つのか。この経路を上場前に設計しておくことは、上場後に求められる適時開示・法定開示の品質を支える土台になります。記述情報の充実を「上場後の宿題」と捉えるのではなく、上場準備で整える開示体制の延長線上に置いておくのが実務的です。


5. 結び

「記述情報の開示の好事例集2025」最終版は、SSBJ基準の制度化という転換点のなかで、有報の記述情報全般について当局と投資家が求める水準を、実例とコメントの形で示した資料です。義務ではないものの、そこに書かれた期待――自社固有の説明、有報と任意開示の役割分担、将来情報の積極開示を支える開示プロセス、機械可読性――は、上場後の有報だけでなく、Ⅰの部の記述情報を起こす段階から効いてきます。

IPO準備企業にとっての実務対応は、好事例集を「上場企業の到達点」として眺めるのではなく、Ⅰの部の記述情報を設計する際のベンチマークとして手元に置き、事業等のリスクとMD&Aの自社固有性、人的資本・サステナビリティの言語化、そして開示プロセスの整備という三点を、上場準備の工程に織り込んでいくことに尽きます。原本は金融庁サイトで分割ダウンロードでき、テーマ別に該当箇所を確認できるので、自社が近く記載する項目から目を通しておくことをおすすめします。


参考文献・一次資料一覧

政府・公的機関

制度・法令


本記事は、IPO準備に携わる実務家向けに、金融庁「記述情報の開示の好事例集2025」最終版の内容と実務上の含意を整理したものです。記載内容は公表資料に基づいており、SSBJ基準の適用時期や開示府令の詳細など制度面については、金融庁の一次資料および最新の公表をご確認ください。

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執筆者

石塚 康一

Koichi Ishizuka

株式会社プライムコンサルティング 代表取締役/公認会計士

北海道大学農学部を卒業後、監査法人トーマツ 旧トータルサービス事業部入所。IPO監査に一貫して従事し、その後、野村證券投資銀行部門へ転職。公開引受部・法人営業部門にて、IPOアドバイザリーや、IPO準備企業の発掘、オファリングの支援等を行う。2024年、株式会社プライムコンサルティングを創業し、独立した立場からIPOの伴走を行う。

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