上場申請期か、その翌期か ― IPOバリュエーションで最も説明されない論点


この記事でわかること

  • PERマルチプルによる想定発行価格の算出において、倍率を乗じる相手(申請会社自身の利益)がどの期のものかは、制度上一義的に決まっていないこと
  • 上場承認時、最終的にバリュエーションを行うのは主幹事証券会社であり、どの部署が主導するかは証券会社ごとに異なること。その判断の土台になるのは会社の事業計画とその精度であること
  • 実務の基本形は上場申請期(FY+1)の予想当期純利益とされる一方、積み上げ型のビジネスモデルでは上場申請翌期(FY+2)の利益が用いられるケースがあること
  • 遠い期の利益を使うほど時価総額は上がる傾向にはあるが、それは予算精度と表裏であり、上場後の予実へのコミットを前倒しで負うことになること
  • 対象会社側の期を動かせば、類似会社側の倍率も同じ期の予想PERに揃える必要があること。その予想の出所(会社予想・アナリストのコンセンサス)と、決算期のズレをどう処理するか
  • 特別損益等の影響を排除するために「営業利益 ×(1 − 実効税率)」で修正利益を置く簡便法と、どこまで排除するかがビジネスモデルと事業計画の読みやすさに依存すること
  • いずれの論点も主幹事の裁量が大きく、綿密な協議が不可欠であること(悲しいですが、大体のケースで揉めます)
  • なお本記事はPERマルチプルを前提としており、EV/EBITDAやEV/Revenue等が用いられる場合の論点は扱わないこと

0. この記事の前提 ― PERモデルに絞って整理します

本記事は、PER(株価収益率)マルチプルを用いる場合に絞って議論を進めます。日本のIPO実務でPERマルチプルが基本形とされるためですが、これがすべてではありません。

実際には、EV/EBITDA倍率、EV/Revenue(PSR)、PBRなど複数の指標が使われます。設備投資負担や資本構成が異なる会社を比較する場面や、減価償却の方法・のれん償却の有無で利益の見え方が変わる場面では、EBITDA系の指標のほうが実態に近い比較ができるとされ、M&A実務ではむしろEV/EBITDA倍率が主流です。IFRSを採用している会社であれば、のれんの非償却によって日本基準の会社と当期純利益の水準が構造的にずれるため、PERでの単純比較には無理が生じ、EBITDA系の指標が選ばれやすくなります。赤字先行のモデルであればPSRやEV/Revenueに移ることは、以下の別記事で述べたとおりですので、ご参照ください。

【IPO準備実務】IPOにおけるバリュエーションはどう決まるのか
IPOの株価は、想定発行価格・仮条件・公開価格という3段階を経て決まり、企業価値評価の理論が直接効くのは最初の想定発行価格の段階です。実務の基本形は類似会社比較法(PERマルチプル)であり、更に公正取引委員会の実態把握では、証券会社の90.9%がIPOディスカウントを実施し、その水準は20%以上30%未満との回答が最多だったとされています。もっとも「類似会社のPER × 予想当期純利益 × (1−ディスカウント率)」という算出構造のうち、倍率は市場が、ディスカウント率は実質的に主幹事が決めるため、発行会社が主張できるのは類似会社及び予想当期純利益だけです。SaaSではPSR・EV/Revenue、創薬バイオではDCF・rNPVが用いられますが、手法の選択はいずれも「将来利益の割引」の裏返しにすぎません。未上場ラウンドはVCレート等を割引率とするDCF法が主流とされ、時にIPO時のPER評価との間に「評価軸の断絶」が生じます。本記事では、IPOにおけるバリュエーションの決定方法を理解しておくことにより、正しい資本政策に導きます。
2026/07/12 | IPO準備実務

つまり、以下で扱う「どの期の利益に倍率を乗じるか」「修正利益をどう作るか」という論点は、指標としてPERを採ることが決まった後の話です。そもそもPERでよいのか、という一段手前の問いが常にあることを前提としてお読みください。


1. 論点は「乗数を掛ける相手」にある

PERマルチプルによる想定発行価格の算出構造は、次の式に整理できます。

図表01
PERマルチプルによる想定発行価格の算出構造
類似会社のPER
市場が決める/主幹事が類似会社を選定
×
予想当期純利益
発行会社が動かせる唯一の変数
×
主幹事が決める/20%以上30%未満が最多
想定発行価格ベースの時価総額
有価証券届出書に記載される参考価格の基礎
この時価総額を、上場時の発行済株式数(潜在株式を含む)で除したものが1株あたりの想定発行価格になります。
発行会社が直接には動かせない要素。倍率は市場が付けており、ディスカウント率も主幹事が設定する。
発行会社が自らの努力で積み上げられる要素。
実務上の含意:類似会社の選定に主張を持つことは意味がありますが、最終的に誰を並べるかは主幹事の判断です。倍率を1倍分引き上げる交渉に労力を割くより、利益を1割積むほうが、時価総額には確実に効きます。しかも利益水準は、上場審査での予算統制の評価にも、上場後の予実にもそのまま連動します。
公正取引委員会「新規株式公開(IPO)における公開価格設定プロセス等に関する実態把握について」(2022年1月)に基づき作成。ディスカウント率の水準は同報告書で回答が最多となった帯を示したもの。

図表01:PERマルチプルによる想定発行価格の算出構造(公正取引委員会「新規株式公開(IPO)における公開価格設定プロセス等に関する実態把握について」に基づき作成。ディスカウント率は同報告書で最多となった回答帯を例示)

このうち、類似会社の選定や、IPOディスカウントの水準については、それなりに議論の蓄積があります。しかし、真ん中の項──倍率を乗じる相手である「予想当期純利益」が、そもそもどの期のものなのかという点を解説している本やメディアは殆どない認識です。

成長企業であれば、1期の違いで利益が3割・5割変わることは珍しくありません。乗数を掛ける相手が1期ずれるだけで、(CompsのPER倍率も変わりますが)時価総額は概ね連動して3割・5割動きますIPOディスカウントを25%から20%に動かす交渉より、はるかに大きなインパクトがあります。


2. どの期の利益を使うかは、制度上決まっていない

まず押さえておくべきは、この点にルールが存在しないことです。

公正取引委員会の実態把握報告書は、想定発行価格について、主幹事が類似会社の財務状況を勘案するなどして算出した理論価格から、IPOディスカウントと呼ばれる割引を行って設定される場合が多いと述べるにとどまります。どの期の利益に倍率を乗じるかについて、記述はありません。

より踏み込んでいるのが、日本証券業協会の「会員におけるブックビルディングのあり方等に関するワーキング・グループ報告書」です。同報告書は、理論価格について想定発行価格の基礎になる理論数値であり、算定方法は主幹事証券会社のノウハウであるとしています。そのうえで、価格設定のプロセスは詳細に規定されているわけではないが、実際には概ね一定のプロセスで想定発行価格および仮条件の価格帯の設定が行われているとし、公開価格の決定プロセスを標準化してしまうと弾力的な取扱いが行えなくなるとの整理を示しています。

新規上場を目指す企業には従来にないビジネスモデルを持つものが多く、画一的な算定ルールにはなじまない、という判断もその背景にあります。理屈としては非常に納得できるのではないでしょうか。ただし発行会社の側から見れば、時価総額を最も大きく左右する変数が、公開されたルールではなく主幹事のノウハウの中にあるという状態でもあります。だからこそ、IPO準備を進める会社は正しい理解と心の準備、そして証券会社との協働が必要になります。

参考: 日本証券業協会「会員におけるブックビルディングのあり方等に関するワーキング・グループ報告書」 https://www.jsda.or.jp/shijyo/seido/jishukisei/web-handbook/105_kabushiki/files/bookbuild_wg.pdf


3. 誰が「いつの利益か」を決めるのか

どの期の利益を使うかは制度で決まっていない、と述べました。では、誰が決めるのか。最終的にバリュエーションを行うのは、主幹事証券会社です。

主幹事証券会社の中で、どの部署がバリュエーションを主導するかは、証券会社ごとの運用によって異なります。私も証券会社に勤務していた時代があり、証券会社の皆様と今でもお仕事をさせていただいておりますが、驚くほど証券会社ごとに方法が異なります。

では、このルールは何に基づき決まっているのか?ということを証券会社時代に調べていたのですが、以下の通りです。

日本証券業協会の「有価証券の引受け等に関する規則」第26条第2項は、主幹事が想定価格(有価証券届出書に想定価格を記載しない場合は企業価値の評価額)、仮条件または公開価格を決定する場合に、発行者等または投資者と業務上密接な関係にない部署または会議体において、これらの価格の妥当性について確認を行わなければならないと定めています。ただし、規則が求めているのは価格の妥当性の「確認」であって、価格の「組成」そのものではありません。理論価格を組み、乗数を掛ける利益の期を選ぶ作業を、リサーチ部門のアナリストが主導するのか、ECM部門や公開引受部門が主導するのかは、主幹事によって変わります。規則の建付けから、実際にどの期の利益が選ばれるかを一律に推し量ることはできません。

だからこそ、この論点は主幹事に確認しなければ分かりません。そして、確認したうえでさらに重要なのは、その判断の土台になるのが、会社の事業計画とその精度であるという点です。

FY+1で見るかFY+2で見るかは、突き詰めれば「その期の利益をどれだけ信頼できるか」という問いです。事業計画の精度が高く、過去の予実乖離も小さく、KPIの積み上げに説得力があれば、主幹事はより先の期の利益を、あるいはより強気の水準を採用しやすくなります。場合によっては、業界平均を上回るプレミアムが乗ることもあります。逆に、計画に信用が置けない、予実を外し続けてきた、KPIの根拠が薄いとなれば、乗数を掛ける利益は保守的に見積もられ、ディスカウントされることもあります。

つまり、「いつの利益か」は、事業計画の信頼性と表裏の関係にあります。 遠い期の利益や強気の水準を使ってほしいのであれば、それに耐えるだけの計画の精度を、発行会社の側が用意しなければなりません。次章以降で、どの期が使われるのかを具体的に見ていきますが、その選択を最終的に左右するのは、この計画の信頼性だという点を先に押さえておいてください。

参考: 日本証券業協会「有価証券の引受け等に関する規則」 https://www.jsda.or.jp/about/kisoku/files/20240416_hikiuke.pdf


4. 実務の基本形は上場申請期(FY+1)の予想利益

期の呼び方を先に整理します。本記事では、上場申請の直前に決算が確定している期(直前期)をFY0、上場申請を行いその期中に上場する期をFY+1(上場申請期)、その翌期をFY+2(上場申請翌期)と表記します。

図表02
期の呼び方と、乗数を掛ける相手の候補
FY0 / 直前期
上場申請の直前に決算が確定している期
実績値。監査済み。倍率を乗じる相手としては用いられないのが通常。
FY+1 / 上場申請期
上場申請を行い、その期中に上場する期
上場承認時・目論見書で開示される業績予想はこの期のもの。公表される予想PERもこの期のEPSが基礎。
FY+2 / 上場申請翌期
上場した期の翌期
上場時点では会社の業績予想として公表されていない。
ビジネスモデル
参照される期
その期が選ばれる理由
一般的なモデル
当期の売上が当期の利益に直結する事業
FY+1
投資家が目にする業績予想・予想PERと値決めの基礎が一致し、説明しやすい。
積み上げ型モデル
ストック型・リカーリング型。獲得コストが先行し、収益は翌期以降に平準的に計上される事業
FY+2
FY+1の利益は先行投資により実力より小さく見える。獲得済み契約が翌期収益として積み上がるため、FY+2の確度は相対的に高い。ただし公表される予想PERはFY+1ベースのままであり、投資家の目には割高に映る。
さらに遠い期(FY+3・FY+4)を使うという選択
市況が過熱した局面では、さらに先の期の利益を基礎に値決めが行われた例があったとされています。成長率が高ければ時価総額は跳ね上がりますが、倍率を乗じる相手は「実力」から「約束」に近づきます。上場後、その約束は四半期ごとに予実として検証されます。遠い期を使えるかどうかを決めるのは、①自社の予算精度(過去の予実乖離・KPI分解の粒度・受注残やARRによる確定度合い)と、②その精度を主幹事と市場がどこまで受け入れるか、の2点です。
留意:どの期の利益に倍率を乗じるかについて、制度上のルールは存在しません。日本証券業協会は、理論価格の算定方法は主幹事証券会社のノウハウであり、価格設定のプロセスは詳細に規定されているわけではないとしています。

図表02:期の呼び方と、乗数を掛ける相手の候補(日本証券業協会・公正取引委員会の公表資料および実務上一般に語られる内容を整理して作成)

一般的なビジネスモデルであれば、上場申請期(FY+1)の予想利益に類似会社のPERを乗じるのが基本形とされています。専門家による解説でも、上場申請期の当期純利益に類似業種PERを乗じて上場時の時価総額を算出し、そこから2〜3割のディスカウントを行うという説明が示されています。

この期が選ばれる理由は、開示との整合にあります。上場承認時および目論見書で開示される業績予想は、上場する事業年度、すなわちFY+1のものです。上場時に公表される予想PERも、通常はこのFY+1予想EPSを基礎として計算されます。投資家が目にする数字と、値決めの基礎が一致しているという点で、説明のしやすい組み合わせです。


5. 積み上げ型のビジネスモデルでは申請翌期(FY+2)

一方、実務ではFY+1ではなく上場申請翌期(FY+2)の利益が用いられるケースがあります。典型が、いわゆる積み上げ型(ストック型・リカーリング型)のビジネスモデルです。

理由は収益認識の構造にあります。積み上げ型のモデルでは、当期に獲得した契約の収益は当期にほとんど計上されず、翌期以降に平準的に計上されていきます。獲得コストは先に出ていくため、FY+1の利益は先行投資によって薄く、実力より小さく見えるという状態が生じます。この利益に倍率を乗じれば、会社の収益力を著しく過小評価することになります。他方で、既に獲得済みの契約が翌期の収益として積み上がっている以上、FY+2の利益は他の業種に比べて確度が高いとも言えます。倍率を乗じる相手をFY+2に置くほうが実態に近い、という判断が働くわけです。

上場のタイミングも影響します。期末近くに上場する案件では、FY+1はほぼ終わっており、投資家の関心は既に翌期に移っています。実際、報道でも、たとえば3月上場の銘柄について、次の1年にあたる期の予想EPSをもとに想定発行価格や仮条件が決められることが多いとの指摘がなされています。

5-1. 公表される予想PERとの「ズレ」に注意

ここで実務上やっかいな問題が生じます。値決めの基礎がFY+2であっても、公表される予想PERはFY+1予想EPSで計算される、というズレです。

その結果、実際にはFY+2の利益に妥当な倍率を当てて価格が決まっているにもかかわらず、投資家の目にはFY+1ベースの割高な予想PERとして映ります。報道でも、予想PERが古い業績で計算されているケースがあり、急速に業績を伸ばしている企業の場合は非常に割高に見えてしまうため、それが理由で初値が伸び悩んだ銘柄があると指摘されています。

準備企業としては、FY+2ベースで値決めをするのであれば、なぜその期の利益で見るべきなのかをロードショーで能動的に説明する必要があるということになります。説明を怠れば、割高という理由だけで需要が細ります。

5-2. 遠い期を使うほど評価は上がる ― それは予算精度の裏返し

成長企業であれば、FY+1よりFY+2の利益のほうが大きく、FY+2を採用したほうが時価総額が上がりやすい。これは事実です。だからこそ、準備企業の側にはより遠い期を使いたいという動機が働きます。

実際、市況が過熱した局面では、さらに先の期が用いられたという話も聞かれます。筆者の見聞の範囲では、SaaS企業に高い評価が付いていた時期に、FY+3やFY+4の利益を基礎として値決めが行われた例があったとされています。成長率が高ければ、2期先・3期先の利益は現在の数倍になりますから、時価総額は跳ね上がります。

しかし、これは予算精度と表裏の関係にあります。

倍率を乗じる相手が遠い期になるほど、その利益は実績から遠ざかり、事業計画上の数字にすぎなくなります。言い換えれば、倍率を乗じる相手が「実力」から「約束」に近づいていくということです。そして上場後、その約束は四半期ごとに予実として検証されます。筆者の見聞の範囲でも、遠い期の計画を基礎に高い評価で上場したものの、その後に予実を大きく外し、株価が上場時の水準を大きく下回った事例は複数見られます。高く値決めできたこと自体が、上場後の下落幅を大きくしたという構図です。

したがって、どこまで遠い期を使えるかを決めるのは、事業モデルの分類だけではありません。次の2点になります。

第一に、自社の予算精度がどこまで確かか。 直前々期・直前期の予実乖離はどの程度だったのか。売上をKPIに分解したうえで、各KPIの計画値が実績とどれだけ整合してきたのか。受注残や契約残、ARRといった形で、その期の収益がどの程度すでに確定しているのか。積み上げ型だからFY+2を使うべきだ、という主張は、これらの裏付けがあって初めて成立します。予実を外し続けてきた会社が「翌期は伸びます」と言っても、根拠にはなりません。予算統制の状況は上場審査でも見られる論点であり、ここが弱ければ、そもそも遠い期の計画を値決めに使わせてもらえないと考えるべきです。

第二に、その精度を主幹事と市場がどこまで受け入れるか。 これは発行会社だけでは決められません。主幹事は、投資家に対して価格の説明責任を負う立場から、遠い期の計画に倍率を乗じることに慎重になる場合があります。機関投資家の側も、ロードショーで示された計画の蓋然性を自ら判断し、納得しなければ仮条件に反映されません。市況が良ければ受け入れられ、悪化すれば同じ計画でも受け入れられない、という相場環境の影響も避けられません。

日本証券業協会のブックビルディングに関するワーキング・グループ報告書も、発行会社に対して、投資家をミスリードするような過度な業績予想の公表を行わないよう、主幹事証券会社を中心に適切な指導が行われることが望まれるとしています。遠い期の利益で高く値決めをすることは、上場後の予実へのコミットを前倒しで負うことと同義です。その覚悟があるかどうかが、実質的な判断基準になります。


6. 表裏の論点 ― 類似会社側の期も揃える

倍率を乗じる相手の期を動かすなら、倍率そのものも同じ期に揃えなければ意味がありません。対象会社にFY+2の利益を当てているのに、類似会社側は実績PERを使っている、という組み合わせは、比較の時点がずれた計算になります。

図表03
対象会社と類似会社で参照する期を揃える
整合している例
類似会社の倍率
FY+2 予想PER
×
対象会社の利益
FY+2 予想当期純利益
同じ将来時点どうしの比較。理論価格の意味が明確になる。
整合していない例
類似会社の倍率
実績PER(前期実績)
×
対象会社の利益
FY+2 予想当期純利益
比較の時点がずれる。成長企業では実績PERが高く出るため、理論価格が過大に振れやすい。
類似会社側で確認すべき4点
実績か予想か
実務では予想値を用いるのが一般的とされる。対象会社の利益の期と揃える。
予想の出所
会社予想(決算短信の通期業績予想)か、アナリストのコンセンサスか。中小型株はカバレッジがなくコンセンサスが存在しないことがある。
決算期のズレ
3月期・12月期が混在すると同じ「今期予想」でも期間が異なる。暦年ベースへの補正(カレンダライズ)が必要になる。
株価の基準日
直近終値か、1か月・3か月平均か。上場承認から公開価格決定までに類似会社の株価が動けば倍率も動く。
日本公認会計士協会「経営研究調査会研究報告第32号 企業価値評価ガイドライン」は、将来情報を無批判に受け入れて機械的に評価に使用するのではなく、予想の前提条件の合理性、予測過程の合理性、過去の実績値や信頼できる外部情報との整合性を検討・分析すべきとしています。

図表03:対象会社と類似会社で参照する期を揃える(日本公認会計士協会「企業価値評価ガイドライン」等に基づき作成)

図表03:対象会社と類似会社で参照する期を揃える(整合させない場合に生じる歪み)

6-1. 実績PERではなく予想PERを使う

類似会社の倍率を実績値で取るか予想値で取るかは、算定の最初に決めるべき論点とされ、実務では予想値を用いるのが一般的と説明されています。将来指標のほうが望ましいとされる一方、予測に伴う歪みが評価額を大きく外れさせる可能性があるという指摘もあります。

6-2. 予想の出所 ― 会社予想とアナリストのコンセンサス

類似会社の予想EPSの出所は、基本的に会社予想(決算短信で開示される通期業績予想)と、アナリストのコンセンサス予想の2つです。

ここに構造的な難しさがあります。IPO準備会社の類似会社として選ばれるのは中小型株であることが多く、アナリストのカバレッジがない銘柄ではコンセンサス予想がそもそも存在しません。この場合は会社予想や情報ベンダーの予想に頼らざるを得ず、類似会社側の倍率の精度は落ちます。会社予想が保守的に置かれていれば予想PERは高めに出ますし、その逆もあり得ます。倍率という数字が客観的に見えるのは、あくまで見かけの話です。

日本公認会計士協会の企業価値評価ガイドライン(経営研究調査会研究報告第32号)も、提供された将来情報を無批判に受け入れて機械的に評価に使用するのではなく、予想の前提条件の合理性、予測過程の合理性、社内承認や外部公表の状況、過去の実績値や信頼できる外部情報との整合性を検討・分析すべきであるとしています。予想値ベースのマルチプルを使うのであれば、その予想が検証に耐えるかを問え、ということです。

6-3. 決算期のズレと、株価をいつの時点で取るか

類似会社の決算期が3月期・12月期などとばらついていれば、同じ「今期予想」でも指している期間が異なります。実務では暦年ベースに補正する調整(カレンダライズ)が行われますが、ここにも算定者の判断が入ります。

倍率の分子である類似会社の株価も、直近終値で取るか、1か月・3か月といった一定期間の平均で取るかによって変わります。上場承認から公開価格決定までには1か月前後の期間があり、その間に類似会社の株価が動けば倍率も動きます。相場が急落した局面では、同業他社の株価が想定発行価格の決定時点より切り下がった結果、仮条件が想定発行価格を下回るケースが多かったと報じられています。需要が弱かったからではなく、倍率の前提が動いたから価格が下がるという事態は現実に起こります。


7. 修正利益 ― 特別損益をどう扱うか

倍率を乗じる相手は、財務諸表上の当期純利益そのままとは限りません。一時的な損益を含んだ利益に倍率を乗じれば、その一時的な要因が何十倍にも増幅されて時価総額に跳ね返るためです。

図表04
修正利益(みなし当期純利益)の考え方と、調整をめぐる論点
営業利益
本業の恒常的な収益力
×
(1 − 実効税率)
簡便法では30%を用いることが多い
みなし当期純利益
この金額に類似会社のPERを乗じる
2025年度税制改正により、2026年4月1日以後に開始する事業年度から防衛特別法人税(法人税額に対し4%)が課され、法定実効税率は約30.6%から31.5%程度へ上昇するとされています。簡便法の「30%」はすでに実勢とずれ始めています。
項目
排除してよいか
上場関連費用
排除する議論も一定可能
上場という一度限りの事象に伴う費用であり、恒常的な収益力を測るうえでは除く整理になじむ。なお、FY+2の場合はそもそもPLインパクト無
一過性の補助金収入
訴訟に関する損失
役員退職慰労金等
排除の方向
その期限りの事象であれば除く。ただし補助金が事業モデルの前提に組み込まれている場合は別途の検討を要する。
減損損失など、
モデルに内在する損益
モデルと計画次第
会計上の区分ではなく、①ビジネスモデルに内在して繰り返し発生するものか、②発生頻度と金額が事業計画の中で読めるか、の2軸で判断する。たとえば多店舗展開型の小売・外食で不採算店舗の減損が毎期のように計上されるのであれば、会計上は特別損失でも出店戦略に内在するコストと見る余地がある。読めるのであれば正常な水準を見積もって控除する、過去数期の平均をとるといった整理が成り立つが、発生時期も金額も予測できない性質のものであれば「正常な水準」を置くこと自体に無理があり、レンジで示すか別の指標に切り替えるかの判断になる。
実務上の含意:一時的な損益を含んだ利益に倍率を乗じれば、その要因が何十倍にも増幅されて時価総額に跳ね返ります。修正利益の作り込みは会計上の分類の話ではなく、その会社の収益力をどう定義するかという事業の話であり、主幹事の考え方を早期に確認しておく必要があります。

図表04:修正利益(みなし当期純利益)の考え方と、調整をめぐる論点(国税庁公表資料および実務上一般に語られる内容を整理して作成)

図表04:修正利益(みなし当期純利益)の考え方と、調整をめぐる論点

7-1. 「営業利益 ×(1 − 実効税率)」という簡便法

実務では、特別損益等や営業外損益の影響を排除するために、営業利益に(1 − 実効税率)を乗じてみなし当期純利益を置く簡便法が用いられるケースがあります。例えば、単純に「30%」程度を差っ引く実務もあります。営業利益は本業の恒常的な収益力を表すと考えられるため、そこから税負担相当を控除して、平常時であればこの程度の当期純利益が出るはずだ、という水準を導く考え方です。

この「30%」という係数は、日本の法定実効税率がおよそ30%台前半であったことに由来します。ただし、2025年度税制改正により、2026年4月1日以後に開始する事業年度から法人税額に対して4%の防衛特別法人税が課されることとなり、法定実効税率は従来の約30.6%から31.5%程度へ上昇するとされています。上場申請期や申請翌期がこの適用範囲に入る会社であれば、30%という係数がすでに実勢とずれ始めている点には個人的に留意が必要かなと思っています。

7-2. 何を排除するかは、ビジネスモデルと計画の読みやすさで決まる

問題は、会計上「特別損益」等に区分されているからといって、一律に排除してよいとは限らないことです。

判断の軸は会計上の区分ではなく、その損益がビジネスモデルに内在して繰り返し発生するものかどうか、そして事業計画の中でどこまで読めるものかにあります。単発の事象であれば排除する。事業モデルに構造的に組み込まれ、一定の頻度で発生することが計画上も見込めるのであれば、会計上は特別損益等であっても恒常的なコストとして残す。この2軸で見るのが実務的です。

たとえば多店舗展開型の小売や外食であれば、一定割合で不採算店舗が生じ、減損損失が毎期のように計上されることがあります。これは出店戦略に内在するコストと見る余地があり、毎期きれいに排除して修正利益を組めば、実力を超えた利益水準に倍率を乗じることになります。他方で、事業構造の転換に伴い一度に計上された減損であれば、性質が異なります。同じ「減損損失」という科目でも、モデル次第で扱いが変わるということです。

事業計画における読みやすさも効いてきます。発生の頻度と金額が事業計画の中で合理的に見積もれるのであれば、正常な水準を見積もって控除するという整理が成り立ちます。過去数期の平均をとる方法もあります。しかし、発生時期も金額も予測できない性質のものであれば、そもそも「正常な水準」を置くこと自体に無理があり、レンジで示すか、別の指標に切り替えるかという判断になります。

要するに、修正利益の作り込みは会計の話ではなく、その会社の収益力をどう定義するかという事業の話であり、その定義が事業計画の中で検証できるかという計画の話でもあります。

7-3. そもそもPERで見るべきか、という問い

ここまでの議論は、指標としてPERを採ることを前提としています。しかし、減損や減価償却といった項目の扱いが評価を大きく左右するのであれば、そもそも指標の選択自体を問い直す余地があります

EV/EBITDA倍率は、営業利益に減価償却費等を加え戻した数値を基礎とするため、減価償却の方法の違いや設備投資負担の差が結果に及びにくいとされます。固定資産の比重が大きく、その評価をめぐる調整が論点化しやすいモデルであれば、PERで修正利益を作り込むより、EBITDA系の指標で比較するほうが素直な場合もあります。IFRS採用会社との比較が必要な場面でも同様です。

修正利益の作り込みに議論が紛糾するようであれば、それは指標の選択が事業の実態と合っていないことの表れかもしれません。どの期の利益を使うかを詰める前に、そもそも何の倍率を使うのかを主幹事と確認しておくことが、順序としては先になります。


8. だからこそ、主幹事との綿密な協議が不可欠

第3章で述べたとおり、最終的にバリュエーションを行うのは主幹事です。乗数を掛ける相手をFY+1に置くのかFY+2に置くのか、類似会社側の倍率をどの期の予想で取るのか、修正利益をどこまで作り込むのか。その大部分がIPOの局面では、実態として主幹事の裁量の範囲にあります。そして、その裁量を動かす鍵は、繰り返しになりますが事業計画の精度にあります。

IPO準備企業として押さえておくべき点を挙げます。

早い段階で、どの期の利益で見られるのかを確認する。 例えば、アナリストがアサインされるタイミングである上場申請の直前に聞くのでは遅すぎます。FY+2で見られるのであれば、FY+2の事業計画の精度こそが最重要になり、予算編成の力の入れどころが変わります。逆にFY+1で見られるのであれば、上場する期の利益をどう積むかが勝負になります。とはいえ、いずれにせよFY+1の計画予想を外してしまっては上場ができませんので、その点は留意ですね。(「FY+2を盛ろう」という単純な発想をする経営者はいないと思いますが、下手な事業計画の作り込みはそのまま予実差異になり、重大な審査論点となります。)

予実の実績を積んでおく。 遠い期の利益を値決めに使いたいのであれば、その計画が信用に足ることを、過去の予実で示すほかありません。数年分の予実乖離の記録、KPIごとの計画値と実績の対比、受注残やARRによる確定収益の割合。これらは主幹事との協議の材料であると同時に、ロードショーで機関投資家に示す材料でもあります。逆に言えば、直前になって予算精度を作ることはできません。

修正利益の作り方について、認識を合わせておく。 どの損益を排除し、どれを恒常的なコストとみなすのか。ここは監査法人の会計上の判断とは別の議論であり、主幹事の考え方を早期に確認しておく必要があります。特に減損が経常的に生じるモデルであれば、その扱いを曖昧なままにしないほうが安全です。

類似会社側の予想の出所を確認する。 会社予想なのかコンセンサスなのか、カバレッジのない銘柄をどう扱うのか。ここまで踏み込んで聞く準備企業は多くありませんが、聞かれて困る話ではないはずです。

説明の責任は発行会社にもある。 FY+2ベースで値決めをするのであれば、なぜその期で見るべきかをロードショーで自ら説明しなければなりません。公表される予想PERはFY+1ベースであり、放置すれば割高に見えます。


9. 結び

ここでは書けないくらい実務上のポイントが多くあります。上場準備をされている企業様はいつでもお気軽にお問い合わせください。

IPOのバリュエーションをめぐる議論は、時に類似会社の選定に集中しがちです。しかし、時価総額を最も大きく動かすのは、倍率を乗じる相手をどの期のどの利益に置くかという一点にあります。そしてこの論点は、制度上のルールが存在せず、主幹事のノウハウの中に置かれています。

理論価格の算定方法は主幹事のノウハウである、という日本証券業協会の整理は、裏を返せば、聞かなければ分からないということでもあります。発行会社が自ら問いを立てなければ、この論点は最後まで説明されないまま価格が決まります。

そして、遠い期の利益を使って高く値決めをすることは、それ自体が目的ではありません。上場時の時価総額は、上場後に検証される約束の総額でもあります。どの期の利益で見られたいかという問いは、結局のところ、自社の予算がどこまで信用に足るかという問いに帰着します。上場申請の前年には、議論のテーブルに載せておくことをお勧めします。


参考文献・一次資料一覧

政府・公的機関

日本証券業協会

日本公認会計士協会

報道・記事


本記事は、IPO準備に携わる実務家向けに、PERマルチプルによる価格算定において参照される利益の期と、その修正をめぐる論点を整理したものです。議論を簡明にするためPERモデルを前提としていますが、実務ではEV/EBITDA倍率、EV/Revenue(PSR)、PBR等の指標も用いられ、ビジネスモデルや採用会計基準(IFRS等)によっては、これらの指標が主軸となる場合があります。記載内容は公表資料等に基づいており、事実関係については一次資料をご確認ください。積み上げ型モデルにおける参照期や修正利益の作り込みに関する記述は、公開資料で網羅的に裏付けられるものではなく、実務上一般に語られる内容の整理です。個別案件の価格算定については、主幹事証券会社および専門家にご相談ください。

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執筆者

石塚 康一

Koichi Ishizuka

株式会社プライムコンサルティング 代表取締役/公認会計士

北海道大学農学部を卒業後、監査法人トーマツ 旧トータルサービス事業部入所。IPO監査に一貫して従事し、その後、野村證券投資銀行部門へ転職。公開引受部・法人営業部門にて、IPOアドバイザリーや、IPO準備企業の発掘、オファリングの支援等を行う。2024年、株式会社プライムコンサルティングを創業し、独立した立場からIPOの伴走を行う。

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